中学3年で出会い7年間ずっと好きだった人がいる。
わたしがあの頃をちゃんと生きられたのは彼のおかげだと思っている。
目を閉じて、あの頃を思い出すと、彼が暗闇の中「こっちだ」と手を引いてくれているような気がする。
彼と近い時間を過ごせたのは出会った中学3年の1年間だけ。
わたしはそれから一生がんばれる力をもらった。
「お前ならできる」そう言ってくれたね。
引っ込み事案だったわたしがあの時から少しずつ変わっていった。
学級委員とか指揮者とか、いつも「お前ならできる」って励ましてくれたね。
「お前に野球のピッチャーをやらせようったってできないけど、指揮者ならできる」って。
わたし、あの頃、家が荒れてて、けっこうしんどい日々だった。
父親がお酒飲んでは暴言吐いたり、包丁持ち出したり。
母親はそんな父の共依存者だったと大人になって本を読み知った。
当時は、父親と罵詈雑言のやりとりばかりで、わたしに愚痴って甘えてばかりいた。
わたしは、家が大嫌いだった。
あの家にいたら、今の幸せはなかったと思う。
あそこから暗闇の中、手を引いて「こっちだ」と出してくれたのが、彼だったのだと思う。
わたしは、彼に恥ずかしい人になりたくなくて、一生懸命勉強した。
彼を応援したくて、吹奏楽部でトランペットを吹いた。
吹奏楽部でいっぱい大切な友人もできたのよ。
彼が家から離れた大学にスポーツ推薦で進学することを、スポーツ新聞の地方版の小さな記事で見つけた。
あの時は、スポーツ新聞を取っていた父親に感謝したっけ。
わたしも彼の近くの大学に進学することを目標にした。
そのために、一生懸命勉強したのよ。
そうして、彼の隣町の国公立大学に合格した。
あの大嫌いな家を出ることができたのよ。
高校3年間では同じクラスになれることもなく、言葉を交わしたこともあまりなかったけれど、彼の野球を頑張っている姿にいつも励まされた。
付き合うとか告白とか考えられなかったし、今でもそうしなくてよかったと思う。
きっと付き合ってしまったら、彼に多くを期待するようになってしまう。
そうじゃなくて、彼の存在があるだけでわたしは頑張れた。
だから、ずっと心の中にいたままでいてくれたことはよかったと思う。
隣町に行ったけれど、何度か彼の大学まで行ってみたけれど、会えることはなかったな。
でも、大学2年。
成人式の帰りに、彼の車で一緒に地元から大学の町まで帰ったの。
車で約2時間2人っきり。
何を話したかはほとんど覚えてないけれど、彼女がいることだけはわかった。
それが最後かな・・・
わたしはこの時も何も言えずに、でも、最後の幸せだったね。
わたしのことは嫌いじゃなかったと思う。
たぶん、少なくとも中3の1年間は好きでいてくれたと思う。
でも、幼すぎたね。
だけど、あの頃を救ってくれた彼は今でも心の中にキラキラ生きてる。
幸せであって欲しいと願ってる。
久しぶりに、彼の名前を検索してみた。
フェイスブックで彼を友達に登録してある人で引っかかった。
結婚もしてるとわかった。
奥さんのフェイスブックの表紙で、お子さん3人の写真まで見れた。
なんとなく、彼の面影がある。
幸せなんだね。
そして、わたしも振り返る。
一緒だよ、わたしも幸せ。
わたしも子供3人産んだの。
わたしも男の子1人に女の子2人。
みんなかわいいよ。
幸せよ。
違う人生を歩いたけれど、どこか同じ幸せに辿り着いた気がする。
あの暗闇で手を引いてくれた先は、ここだったのだと思う。
ありがとう・・・
いつか会うことができたら、何度でも伝えたい。
わたしがあの頃をちゃんと生きられたのは彼のおかげだと思っている。
目を閉じて、あの頃を思い出すと、彼が暗闇の中「こっちだ」と手を引いてくれているような気がする。
彼と近い時間を過ごせたのは出会った中学3年の1年間だけ。
わたしはそれから一生がんばれる力をもらった。
「お前ならできる」そう言ってくれたね。
引っ込み事案だったわたしがあの時から少しずつ変わっていった。
学級委員とか指揮者とか、いつも「お前ならできる」って励ましてくれたね。
「お前に野球のピッチャーをやらせようったってできないけど、指揮者ならできる」って。
わたし、あの頃、家が荒れてて、けっこうしんどい日々だった。
父親がお酒飲んでは暴言吐いたり、包丁持ち出したり。
母親はそんな父の共依存者だったと大人になって本を読み知った。
当時は、父親と罵詈雑言のやりとりばかりで、わたしに愚痴って甘えてばかりいた。
わたしは、家が大嫌いだった。
あの家にいたら、今の幸せはなかったと思う。
あそこから暗闇の中、手を引いて「こっちだ」と出してくれたのが、彼だったのだと思う。
わたしは、彼に恥ずかしい人になりたくなくて、一生懸命勉強した。
彼を応援したくて、吹奏楽部でトランペットを吹いた。
吹奏楽部でいっぱい大切な友人もできたのよ。
彼が家から離れた大学にスポーツ推薦で進学することを、スポーツ新聞の地方版の小さな記事で見つけた。
あの時は、スポーツ新聞を取っていた父親に感謝したっけ。
わたしも彼の近くの大学に進学することを目標にした。
そのために、一生懸命勉強したのよ。
そうして、彼の隣町の国公立大学に合格した。
あの大嫌いな家を出ることができたのよ。
高校3年間では同じクラスになれることもなく、言葉を交わしたこともあまりなかったけれど、彼の野球を頑張っている姿にいつも励まされた。
付き合うとか告白とか考えられなかったし、今でもそうしなくてよかったと思う。
きっと付き合ってしまったら、彼に多くを期待するようになってしまう。
そうじゃなくて、彼の存在があるだけでわたしは頑張れた。
だから、ずっと心の中にいたままでいてくれたことはよかったと思う。
隣町に行ったけれど、何度か彼の大学まで行ってみたけれど、会えることはなかったな。
でも、大学2年。
成人式の帰りに、彼の車で一緒に地元から大学の町まで帰ったの。
車で約2時間2人っきり。
何を話したかはほとんど覚えてないけれど、彼女がいることだけはわかった。
それが最後かな・・・
わたしはこの時も何も言えずに、でも、最後の幸せだったね。
わたしのことは嫌いじゃなかったと思う。
たぶん、少なくとも中3の1年間は好きでいてくれたと思う。
でも、幼すぎたね。
だけど、あの頃を救ってくれた彼は今でも心の中にキラキラ生きてる。
幸せであって欲しいと願ってる。
久しぶりに、彼の名前を検索してみた。
フェイスブックで彼を友達に登録してある人で引っかかった。
結婚もしてるとわかった。
奥さんのフェイスブックの表紙で、お子さん3人の写真まで見れた。
なんとなく、彼の面影がある。
幸せなんだね。
そして、わたしも振り返る。
一緒だよ、わたしも幸せ。
わたしも子供3人産んだの。
わたしも男の子1人に女の子2人。
みんなかわいいよ。
幸せよ。
違う人生を歩いたけれど、どこか同じ幸せに辿り着いた気がする。
あの暗闇で手を引いてくれた先は、ここだったのだと思う。
ありがとう・・・
いつか会うことができたら、何度でも伝えたい。
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