決意

2015年7月2日 エッセイ
うだうだしてる。
投資がボロボロでつらい。

仕事しなきゃダメかな。。。
とりあえず、夏休みが終わるまでは失業保険もらって今のまま。
働くにしても9月から。


がんばろう。
わたしが、ちょっと昔を思い出しセンチメンタルになっているのは、ドラマ「ラブレター」全60話をウェブで一気に見たから。
「ラブレター」は2008年11月24日から2009年2月20日まで放送されたTBS系列の愛の劇場枠の昼ドラだった。
ちょうど、長女を産んだばかりの年でオンエア中も家にいたから見てたんだよね。
当時も涙して、キュンキュンしてたけれど、今時間ができて、ふっと思い出して見たくなっちゃった。


恋愛ドラマとか見ないんだけれどなぁ。。。
なぜか、これだけは真剣に見てしまった。
たぶん、中学~高校時代を思い出し、気持ちがドラマにシンクロしてしまったからかな。
第2部の中学~高校時代あたりが一番好きです。


最終週あたりは泣きっぱなしなんだけれど、それ以前でも要所要所で泣かされました。
久しぶりに泣いた。
最後は睡眠削って一気に見ました。
涙で目が腫れた。


やっぱり幼馴染とか、学生時代の出会いって大事だな・・・
心がまだ純粋だから、すごく素敵な恋愛ができる。
わたしもそうだったもの・・・
だから、前の日記に繋がるんだけれど。
そして、その頃を一生懸命に生きていたから、今がある。


どうか、我が子たちにも素敵な素敵な中高時代の6年間を過ごしてほしい。
この6年間を舐めないでほしい!
一生懸命学び、友情を育み、素敵な恋愛をして、精一杯生きる6年間であってほしい。


やっぱり何が何でも共学に行って、青春していただこう。


「ラブレター」に話を戻すと、美波と海司が何としても結ばれてほしくて、やきもきしてました。
なんで、こうすれ違うかなぁ。。。ドラマだから仕方ないけどさ。
思い合っているのに、なかなか結ばれない2人に最後までやられましたが、最終回やっといろんな障害がなくなり、ハッピーエンドでよかったよかった。


ドラマや少女漫画の設定でありがちな、不器用でやんちゃな海司と、優しくて優等生でもてもてタイプの陸。
ネットを見てると、自分だったら陸タイプという女性がけっこういるのだなぁと感じた。
でも、わたしは今まで好きになった人は海司タイプばかり。
ああいう不器用なタイプのふっと見せる優しさに弱いのよ。
中3のわたしたちは、同じクラスで隣の席で、まさに美波と海司でした。


そして母になった今、男の子にはああいうタイプに育ってほしくてね。
息子には小学校時代は勉強ばっかりせず、よく運動して、よい経験をしろと。
長期休みの度に、キャンプやスキーに行かせ、概ねわたしの好きなタイプに育っているようです。
中学3年で出会い7年間ずっと好きだった人がいる。
わたしがあの頃をちゃんと生きられたのは彼のおかげだと思っている。

目を閉じて、あの頃を思い出すと、彼が暗闇の中「こっちだ」と手を引いてくれているような気がする。

彼と近い時間を過ごせたのは出会った中学3年の1年間だけ。
わたしはそれから一生がんばれる力をもらった。
「お前ならできる」そう言ってくれたね。

引っ込み事案だったわたしがあの時から少しずつ変わっていった。
学級委員とか指揮者とか、いつも「お前ならできる」って励ましてくれたね。
「お前に野球のピッチャーをやらせようったってできないけど、指揮者ならできる」って。

わたし、あの頃、家が荒れてて、けっこうしんどい日々だった。
父親がお酒飲んでは暴言吐いたり、包丁持ち出したり。
母親はそんな父の共依存者だったと大人になって本を読み知った。
当時は、父親と罵詈雑言のやりとりばかりで、わたしに愚痴って甘えてばかりいた。
わたしは、家が大嫌いだった。


あの家にいたら、今の幸せはなかったと思う。
あそこから暗闇の中、手を引いて「こっちだ」と出してくれたのが、彼だったのだと思う。


わたしは、彼に恥ずかしい人になりたくなくて、一生懸命勉強した。
彼を応援したくて、吹奏楽部でトランペットを吹いた。
吹奏楽部でいっぱい大切な友人もできたのよ。


彼が家から離れた大学にスポーツ推薦で進学することを、スポーツ新聞の地方版の小さな記事で見つけた。
あの時は、スポーツ新聞を取っていた父親に感謝したっけ。


わたしも彼の近くの大学に進学することを目標にした。
そのために、一生懸命勉強したのよ。
そうして、彼の隣町の国公立大学に合格した。
あの大嫌いな家を出ることができたのよ。


高校3年間では同じクラスになれることもなく、言葉を交わしたこともあまりなかったけれど、彼の野球を頑張っている姿にいつも励まされた。
付き合うとか告白とか考えられなかったし、今でもそうしなくてよかったと思う。
きっと付き合ってしまったら、彼に多くを期待するようになってしまう。
そうじゃなくて、彼の存在があるだけでわたしは頑張れた。
だから、ずっと心の中にいたままでいてくれたことはよかったと思う。


隣町に行ったけれど、何度か彼の大学まで行ってみたけれど、会えることはなかったな。
でも、大学2年。
成人式の帰りに、彼の車で一緒に地元から大学の町まで帰ったの。
車で約2時間2人っきり。
何を話したかはほとんど覚えてないけれど、彼女がいることだけはわかった。
それが最後かな・・・
わたしはこの時も何も言えずに、でも、最後の幸せだったね。


わたしのことは嫌いじゃなかったと思う。
たぶん、少なくとも中3の1年間は好きでいてくれたと思う。
でも、幼すぎたね。


だけど、あの頃を救ってくれた彼は今でも心の中にキラキラ生きてる。
幸せであって欲しいと願ってる。



久しぶりに、彼の名前を検索してみた。
フェイスブックで彼を友達に登録してある人で引っかかった。
結婚もしてるとわかった。
奥さんのフェイスブックの表紙で、お子さん3人の写真まで見れた。
なんとなく、彼の面影がある。
幸せなんだね。


そして、わたしも振り返る。
一緒だよ、わたしも幸せ。
わたしも子供3人産んだの。
わたしも男の子1人に女の子2人。
みんなかわいいよ。
幸せよ。


違う人生を歩いたけれど、どこか同じ幸せに辿り着いた気がする。
あの暗闇で手を引いてくれた先は、ここだったのだと思う。


ありがとう・・・


いつか会うことができたら、何度でも伝えたい。

ラブレター

2015年6月19日 エッセイ
愛する家族へ、愛した人たちへ、伝えたいことを書き留めていこう・・・

私は書くことが好きでした。
書くことで生きていられた時間を過ごしたこともある。
いろんなことがあり、書く時間や書く気持ちを失ってしまっていたけれど、この春の大きな転機でまた書きたいと思いました。


自分を見つめ直すよい時間を与えられました。
私は何がしたいの?
どうやって生きていきたいの?
私の夢は??


思えばこれまでの10年間は自分ではない誰かのために生きていました。
それは当然のことで、そうしなければならない状況で、そのことに不満も不平もありませんでした。
むしろ自分以外の誰かのために一生懸命に生きたという、かけがえのない幸せな時間でした。


気づけば、少しずつ自分を生きる状況に変わってきました。
他の誰かのために生き続けることは、それはそれで楽。
でも、今自分を見つめ直し、自分の生き方を見つけておかないと、将来的には他の誰かを苦しめ傷つけることになる。
そして、後悔することになる。


自分を生きるためにも、まずは、書くことから始めたいと思います。

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